以前取り上げたブログに引続き、愛車ランクルHZJ-75の修理、修復内容について何度かに分けて取り上げようと思います。
ちょっと前にボディ修復後のスターターモーターのブラシを交換についても取り上げました。
■
修理の醍醐味
修理を行ったりして、車の調子が良くなると、今まで気づかなかった細かなことが気になってくるものもの。
今回行った修理によって、車は見違えるようにきれいになったと同時に、走行中も車内環境が驚くほど静かになった。
それによって、今までは聞こえなかった、小さなノイズが聞こえてくるようになってきた。
オーディオ他のケーブル類が揺さぶられる音、ドアワイヤー類がカタカタと揺さぶられドアにぶつかる音など、そんな音が大きく聞こえるようになった。
作業完了した車
車内ノイズ対策として、ドアハンドルの針金に、金魚のブクブクパイプを通し、ケーブル類はウレタンを巻いて結束バンドでしっかりと固定したり。
フロアマットの下に使わないタイヤチューブを敷いて振動をより減衰させたりと。
お金をかけず出来る作業はいろいろと試してみたた。
その効果は思った以上に大きいのだが、やればやるほど、さらに小さなノイズが聞こえ気になってくるもの。
修理がほぼ終わった今では、17年前の購入以来最も静かで快適な車内環境となった。高速走行でもオーディオが聞ける環境。
以前はどれだけうるさかったんだよ。
修理前は、ハッチやボディの隙間から入ってくる風切り音、エンジン、ギアのまわる音、タイヤのきしり音等、さらにはマフラーに空いた穴から出てくる音。何しろ床が腐食して穴が空いていた。当然の事ながら高速走行でオーディオなど聞ける環境ではなかった。
エンジンのほうはすこぶる快調で、最後に入れたカルテックスのエンジンオイルがこの1HZエンジンにベストマッチのようだ。もちろん鉱物油。
スターターモーターも修理し、一撃必殺でエンジンがかかるようになった。
ただ、車内環境が静かになりすぎて(管理人基準)、今度はエンジンの心地よい音と振動が聞こえなくなったりと、ちょっと寂しくなったのもまた事実。
やりすぎもまた味気なくなってしまうようだ。うるさかったのも、また味わいがあったという事だろうか
最近の車には、スピーカーからエンジンのサウンドを流す車種もあるという。
そんなフェイクはやりたくないなー。
味気なさ過ぎるからなのか、それはちと恥ずかしい。
子供がおもちゃの車を、「ブー、ブー」と言いながら走らせてているのにも通じる気がする。
さてさて、愛車のランドクルーザーが現在のように快適環境に至った経緯、その車の修復の内容をこのブログで紹介する事とする。
ガレージにてボディー修理が始まった
修理の下準備
まずは修理の下準備を開始、後ろに6席ある椅子を全て取り外した。
この椅子は状況に応じてつけたりはずしたり。
普段は4席搭載している事が多い。
ケニアの国立公園に入場の際は、5席までの車の入場料が300シリング、それ以上だと1000シリングになる。その差は700シリング、日本円で800円ぐらいだろうか。
だから国立公園に入場する際は忘れずに、合計5席になるように後ろにはイスを3席だけにする。車は同じでも席の数で入場料が変わるシステム。
国立公園でないマサイマラ自然保護区は一律同料金。
床にはボード(厚いベニヤ)が敷いてある。
作業を行うにはこのボードはもちろんはずさなければならない。
このボードは17年間取り外した事が無い。
この下には、その間のずっと降り続けた埃が積み重なっている事になる。
「よっこらしょっ!」と1人でボードを後ろに引き摺り下ろす。
このボード、厚さが1センチほどもあるので結構重い。
ボードを敷かなければ結構な軽量化が出来るな、そんな考えが頭をよぎる。
ボードを剥がしてみると。
17年の間降り積もった汚れ
思った通りの有様。
とりあえず、ガレージに車を持ち込む前に、この17年間の降り積もった汚れを洗い流す事にする。
洗車すると多少の錆があるにもかかわらず、 床は思いのほかにきれいだった。
17年前、床だけ塗装してもらったのを思い出した。その効果なのだろう。
洗車の際も車内は水洗いせず、雑巾がけしていたのも功を奏したようだ。
海辺だったら話は変わるだろうが、ここは海から500キロ離れたナイロビ。
必要以上な水洗いはしないほうがいいという事だろう。
スタンドの洗車場に持ち込んださ際、洗車人はいつものようにまず、ルーティンで埃をブロアーで吹き飛ばした。
すると、ものすごい埃が舞い上がり、辺りをホコリの海にした。
「オイ!オイ!」「水だー!」というと、すぐにブロアーでホコリを吹き払うのを止めて、水洗いを始めた。
舞い上がった埃で車内には厚い埃の層が降り積もってしまったが。
椅子も何もかにもこれから全て取り外し、布の張替えもする事だし、「ま、いいか!」
そして、ガレージへ、
内張り類も全て取り外した
ガレージのワーカーたちは手馴れた作業で、窓、ボンネット、内張りと部品を、次から次に取りはずしていく。
腐食部分の塗装はがし、ガス溶接等もすでに同時進行で始められた。
フロントガラスも取り外し
フロントグラス下、左右には振動による亀裂が走っていた。
この亀裂、走行中に「キーコーキー」とノイズの原因になったりする。
ダッシュボードも取り外し
ダッシュボードは、人に任すと元通りに戻らない可能性が高いので、全ての作業は管理人自身で行なった。
電気系統を人にいじらせるのは非常に危険!
と、ここでまた横道にそれてしまうが、
この車に乗り始めたばかりの16年ほど前の話。
スイッチを入れるとどうしてもヒューズの切れるラインがあった。フューズを変えても変えても多少はもつものの、すぐに切れてしまう。
テールランプのラインだ。これを当時車電気修理工にお願いして直してもらった。
その時は問題なく点くし、問題なく直ったと思っていたのだが、その修理工はとんでもない危険をはらんだ行為をしていたのであった。
フューズを通らないポジティブ(+)にバイパスしてケーブルを直接つなげただけで、問題の本元は直していなかった。
何が起こったかというと、走行中、雨が降り霧が出てきたのでライトのスイッチを入れた。すると、すぐに何か焦げ臭い匂いが漂ってきた。間違いなく電気系統のケーブルの皮膜が焼けている匂い。
安全な場所に車を止めて確認してみると、ケーブルの皮膜がその殆どの部分で焼け焦げていた。
幸いスイッチをすぐに切ったので大事には至らず。
自ら問題の本元を探してみる、一部ボディと皮膜の破れたケーブルが接触してショートしていたであろう部分を見つけだした。
その日、夜な夜な、フューズを通し新しいケーブルで配線し直した。
それ以来、配線関係は人にいじらせず、全て自分で行なっている。
自ら作業を行う事によって、今ではオーディを含めて、車内全ての配線を把握した。
これでショートしてもフューズが切れるので大丈夫。
コンピューターの使われていない、シンプル明快な車だからこそ出来る事だ。
それは、電気系統であればいつでも、どこでも直せるという安心感につながっている。
ケーブルの束とテスターは車に常備している。もちろん絶縁テープも一緒に。
アフリカでは自分で出来なかったり分からない事、作業中に部品にダメージを与えたとしても、オーナーにそれを言わず自分で解決しようとしてしまう傾向が強いので、気をつける必要がある。
だまし直しには要注意!こちらの国に限らず、どこの国も一緒だな。
何でここにいるの?という、出来る天才的なメカニックもいる事を付け加えておく。
話をもとにもどして、
ほぼ、作業の準備が整った。
作業の準備は着々と進む
ここで一つの大きなへまをしてしまった。
車内天井の布をこの時、同時に全て剥がしてしまうべきだった。
「この布、このまま使いまわせるかな?」という気持ちが心の片隅にあり、はがすのを躊躇してしまったのだ。
この天井の布の内側は、思った以上に錆が進行してしており、
塗装した後、はがしたのだが、再度のボディ修復作業が発生してしまった。
大きな二度手間作業と余計な出費、時間の浪費につながってしまった。
その事については後日取り上げる事にする。
ボディー左下部の腐食、既にこの上なくぼろぼろ
ボディ下部、腐食部分をたたいていくと、こんなにぼろぼろ!
ほぼボディーが無くなってしまった。
鉄にとって、錆は怖いものだとつくづく感じた。
これから、全ての錆を削ぎ落とし鉄板を張り替えてボディを修復する。
部分部分ガス溶接で、修復を行なった
この階段の鉄板の半分が腐食し、すでに大きな穴となっていた。
その穴から走行中、上り坂でエンジンをふかすと、マフラー途中の穴と相まって、排気ガスがこの穴から車内に入ってきていた。(マフラーは修復済み)
このステップも新しい鉄板を溶接し完全に穴を塞いだ。
上写真ドアの下部も錆が進行、マイナスドライバーでたたくと大きな穴が空いた。
17年の歳月、車が野ざらしにされていると鉄部品を中心に結構ぼろぼろになる事がよく分かる。
もし、海辺だったらこんなもんじゃ済まなかっただろう。
この車の修理はまだまだ始まったばかり。
修復の長い道のりはこれからだ。
■
僕自身は車の専門家ではありません。
このHZJ75と17年間付き合いながら独学で修理の事を学んだまでです。
学んだというよりも、いじくって覚えたといったほうがいいでしょうか。
このブログ、そんな車好き、というか古いランクル好きの視点の、たわいない文章だと理解して読んでいただければ幸いです。
90年代以前のランドクル、乗れば乗るほど、いじればいじるほど愛着が湧く車。
コンピューターを使っていない車、新しくなりようが無く、いつまで経っても古くならない。なにしろ、今でも部品は潤沢。
僕にとってこの車、車というよりも家族の一員という感じだ、それについては妻も、
子どもたちも同意見。
ボディに関しては、しばらくほったらかしてしまったが。
今回の修復で、車を思いやるようになり、より一層愛着が湧いてきた。
このくるまとは、今後いつまでも付き合っていけたらと思っている。
■
続く
最後までお読みいただきありがとうございました。
前の記事
次の記事
Commentaires