一話完結、もしくは2話のつもりで書き始めたものの、思ったように捗らず4回に分かれてしまった。
今日こそ、完結させるぞ!
それでは前回に引き続き。
富士山頂、 富士山気象台を後にする。日も傾き、風が出てきた。
頂上では、何枚か写真を撮り、ゆで卵を一個食べてから山を下る事にした。
山頂ではそれなりの展望を期待していたのでちょっと期待はずれだった。
見える景色は、気象観測所建物と崖越しに見える富士山の火口。
見晴らし感動レベルば、新都庁の見晴らしよりも下だろう。
日本に接近する台風を監視しつづけた富士山レーダーは、写真左の大きな建物の中で1999年まで運用されていたそうだ。
今は取り払われてしまっているが、建物の上にはレーダーを保護するための直径9メートルのレーダードームがあった。
そんなドームの骨格は、地上で組み立てられ、ヘリコプターで運んだそうだ、推力限界ぎりぎり。足りない推力を補うため、ヘリのドアなど取り外し、それでも無風だと推力が足りなくなるとか。
そんな限界ぎりぎりの極限の作業をなんとかこなして取り付けたドーム。
そんな作業、石原裕次郎出演作品、「富士山頂」を見てから行ったので、なんともドームの土台を見ながら妄想ロマンの世界にちょっとだけ浸った。
昔富士山レーダーの情報、夕方の天気予報で聞いていたのを思い出す。
嵐の時は風速90メートルの風が吹きすさぶという富士山頂。
想像を絶する世界だ。
そして、それに耐えうる建物とドーム、すごいとしか言いようが無い。
それにしても風速90メートルとはどのような世界なのだろう?
時速330キロ、ほぼF1の最高速度、
大型ジェットの離陸速度をはるかに超えている。
その風の吹きすさぶ中、建物の中で過ごしていた観測員、恐怖だっただろう。
レーダードームは現在、富士吉田市の富士山レーダードーム館で見る事が出来るそうだ。
別ルートで降りようとも思ったが、登りと下り一方通行で、違う道を歩くので、とりあえず、登ってきたのと同じ吉田ルートで下る事にした。
何しろ、宿がたくさんあるので安心だし、どこからでも御来光が見れる。
更には下山した時の交通の便もいい。
お鉢を一回りしてから下る事にした。
富士山頂から見る西の山並み、南アルプス
山頂では風がますます強くなってきた。
視界が開け、左右に風を防ぐものが無くなると、風をもろに受け、立っているのがやっと、今にも飛ばされそうだ。
ゆっくりと大きく足を広げて踏ん張りながら歩く。
山頂からちょっと下ると西の空が開け、南アルプスの山々が一望出来た。
グーグルアースで照らしあわすと、右奥のギザっとした山が標高3141mの悪沢岳、日本で6番目に高い山。
強風の中カメラをどんなに構えても風で振動する。
こんな時カメラ内臓の手振れ補正が役に立ちそうだ。
使っているカメラには付いていない。
山頂付近から見る山小屋群
吉田ルート、須走りルート合同の下り道の分岐を折れ山を下る。
こっち側の山の斜面も風が強い、今晩の野宿は無理そうだ。
さて、予約無しで宿に泊まれるだろうか?
ま、大丈夫だろう。
問題はどこまで降りれば済むか。
食料、防寒具、寝袋があるので荷物は重い分、気は軽い。
でも、水はあと500cc余分にもって来るべきだった。
空にかかっていた雲は少しずつ晴れ、山頂からは夕日が見えそうだ。
山頂でもうちょっと粘ればよかったかな?
でも、初めての道、夜下るのは危険だ。
ゆっくりと山道を下っていると、富士山の影が少しずつ大地から地平線、更には地平線より上の空へと広がっていく。
しばらくすると東の空には富士山自らの姿が投影された。
富士山から見る富士山自らの影、「影富士」が現れた!
見事な影富士が出現した!
あの影の先端がダイヤモンド富士ポイント。
影富士の北側には虹が出現!
影富士の北側に虹が現れた。
この景色を見れただけでも、来た甲斐があった
さてさて宿はどうだろう?
山頂にいちばん近い宿は満員。
次の宿はどうだろう?
さらに下っていく。
ここが泊まる事になるトモエ荘、いちばん左の建物
8合目のトモエ荘、空きがあるそうだ。
前払いで、素泊まりは5800円との事で、すぐにお金を支払う。
あっさりと宿が決まった。
夕食時で、宿の中では大勢が宿食のカレーを食べていてる。
気が引けるので、持参のレトルトカレーは外で食べる事にする。
ゆで卵3個をプラスしてパンで食べる。
それにしても持ってきたはずのスプーンは何処にあるのだろう?
手が汚れるし、なんかう・・のようだ。
気温7度、風が吹きすさぶ中、冷たいカレーを一人黙々と食べる。
こんな時は温かいものを食べたいものだ。
今度は携帯コンロを調達しよう。
食べてしばらくすると体温が上がりパワーが湧いてきた。
もう一仕事出来そうだ。
空にはまばらに雲が残っている。
スカッと晴れないかな?
標高3400m、トモエ荘からの夜景
手前には河口湖町の夜景、そして右手奥、オレンジ色に輝くのが東京の夜景。
長距離大気を通過してきた光は、夕焼け色に染まっている。
空気が澄んでいると100キロ先のスカイツリーもくっきりと見えるそうだ。
ここ、富士山八合目まで来ても、街の光による光害は思った以上に強い。
星空を見るにはそれほど向かなさそうだが。
空気が澄んでいるので、天頂付近は結構スカッときれいに星が見えた。
光害がほとんど無いアフリカサバンナで見る夜の雲は真っ黒く暗黒星雲のように見えるのだが、ここでは雲は光り輝くレフ版だ。
それだけ、空に向かって照らし出される、街の光が強いという事。
一瞬晴れた星空
しばらくすると上空カシオペア座から白鳥座にかけて雲がどいてくれた。
持ってきたスカイメモTにカメラを取り付けて撮影。
この写真を撮り終えるとすぐに雲が発生、空のほとんどを覆い尽くしてしまった。
さらには東の空から月も昇ってきた。
これ以上の撮影は断念、
明日に備えて休息、眠る事にする。
寝る前、宿で飲んだ一杯の熱いお茶。
冷えた体に一気に染み渡った。
お茶がこんなに美味いとは。
上写真は
カシオペア座(下)から白鳥座(上)にかけて浮かび上がった天の川。
下のほうは街の明かりで光かぶりしてしまっている。
そして、トモエ荘の寝床へ。
わずかばかりのスペースだが、寝るには十分。
この密集状況、暖かくて気持ちがいい、寝床に体を横たえるとすぐに記憶は途切れた。
気が付くと山頂で御来光を見る人たちの準備する音で目が覚める。
ご来光はここからでいいやと、ご来光までの間もう一眠り。
山の朝はなんといっても御来光を拝む事。
トモエ荘に宿泊していたほとんどの登山客は、山頂でご来光を拝むために1時過ぎに起床して出て行った。
外は強い風、風除けが無ければ写真が撮れない。
三脚も用を成さないほどの強風。
管理人は4時過ぎまでゆっくりと休み、宿の前から御来光を拝む事にする。
ここだと上手く風をかわす事が出来る。
でも、頂上からの日の出でないと、御来光とは呼ばないのかな?そんな事は無いな。
太陽が顔を出した、左手前には山中湖
御来光を眺める登山客
今頃、山の反対側の西の空には昨日見たような影富士が出ているのだろう。
陰と陽、やっぱり陽の太陽のほうがいいな。
ご来光を拝んでから、朝食をとる。
毎度ながらのパンとゆで卵2個。
お茶を飲んでから山を降りる事にする。
お茶は一杯100円。
刻々と表情を変えるパノラマビュー、朝の光が昼の光に変わっていく。
ゆっくり歩くつもりが、体が温まってくるにつれてスピードが上がる。
一気に駆け下りる、高度はどんどん下がっていく。
振り返ると順光に照らし出された山肌の向こうには月が浮かんでいた。
気分良く、登山靴ではないのを忘れ、一気に五合目まで駆け下り、気が付くと、靴は結構なダメージを負っていた。
勢い良く歩きすぎたのか、靴底がはがれてしまった。
7時過ぎには5号目に着いてしまった。
登りと比べるとあっという間。
五合目に到着して再びレトルトのカレーと残りのパンをガッツリ食べる。
それにしても変化の乏しい食事だ。
短期だったら別に何でもいいのだ。
富士山頂を振り返って見てみると、とんでもないスピードで雲が流れていた。
この日、富士山に登ろうとしていた登山客、強風のため登るのをあきらめたグループも結構いたようだ。
帰りは鉄道で帰ることにした。
まずは河口湖までバスで降り、そこから富士急行。
なつかしの、京王、旧5000系が今でも使われているのも理由のひとつ。
京王線、学生時代良く乗っていた車両だ。
つりかけモーターの独特の振動、と音が大好きだった車両だ。
車両がどんな余生を送っているのかちょっと気になっていたのだ。
京王引退後、富士急行で活躍する京王旧5000系
富士急の車窓からみえる富士山
車窓を振り返って富士山を眺めた。
登る前と比べて富士山を見て感じる事が大きく変わっただ。
登った山道、山頂、火口、宿、風、影富士などなど。
これから富士山を見るたびに、富士登山の事を思い出すのだろう。
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おわり
お付き合いありがとうございました。
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